なんだろう…
童話や詩を書き始めてからの宮沢賢治の人生は駆け足のごとく過ぎ去った。
「銀河鉄道の父」を読み終えてみれば、文房具屋で原稿用紙を大量に買い込み、昼夜明けず童話や詩を書き始めた時点で「死」というゴールを目指していたような気がする。
農業も音楽も宗教も全てゴールに向かうため。
病魔と仲良く徒競走をしながら走り抜けたように私は感じた。
「風ニモ負ケズ」は宮沢賢治自身のことを書いたようにもその父である政次郎のことを書いたようにも思えた。
彼の生涯を知って、改めてその詩を読むと涙せずにはいられない。
また、全編において散りばめられた政次郎の愛もその詩の中には凝縮されていて、私はまた泣いてしまった。
↑この記事で、明治時代の父親にも子供にたっぷりの愛情を見せてたんだなぁという趣旨のことを書いたと思うのだけど、明治時代の父親というより、この政次郎という人自身がとても父性愛の強い人だったのではないかと今は思う。
宮沢賢治の生涯において三度にわたり看病をする場面では、明治時代の父親を形容するには似合わない「甲斐甲斐しい」という言葉がぴったりと当てはまるような人だった。
仕事に実直で社会的地位は高く、人としても優れた父。
そんな父を仰ぎ見、憧れているというのも憚られるほど自分との差を強く感じていた宮沢賢治。
それ故に反発していた時期も長くあったけれど、三度目の看病では心を通わせて、幼い日の宮沢賢治に戻っている。
この本を読んで、次は宮沢賢治を主人公とした彼の生涯を書いた本を読みたいと思った。
もっと宮沢賢治を知りたい、宮沢賢治の作品に触れてみたいと思わせてくれるような本だった。