思いがけず加藤廣先生の著書にハマって3冊め。
今まで読んだのは
「秘録 島原の乱」「神君家康の密書」の2冊です。
普段は日本史物って知識もないし得意じゃないんですけど、こうやって同じ時代のものを立て続けに読むのって面白いですね!
それも同じ著者のもの。
一冊に出てきた登場人物がスピンオフみたいな感じでまた別の人間の視点から描かれたりして。
どっぷりハマってます(笑)
さて。今回読んだ本は。
「利休の闇」でゴザイマス。
千利休って好きです。
昔は達観したお坊さんのような物静かな人をイメージしてたんですけど、
以前、↑この「利休にたずねよ」を読んで利休に対する見方が一変しました。
こんな人間臭く魅力的な人物だったなんて!
今回読んだ「利休の闇」でも、その人間臭いというか泥臭いような利休の魅力が描かれてます。
けれど異なるのは。
山本謙一先生が書かれた「利休にたずねよ」は主に利休の人柄がドラマチックに描かれているのに対し、加藤廣先生の書かれた「利休の闇」では、豊臣秀吉との出会いから親密な関係、確執、切腹を命じられる経緯が事細かに推理されていることです。
加藤廣先生の著書ってどれも(と言ってもまだ3冊しか読んでないんですが…汗)史実や残された文献を本当に細かく調べ上げ、それを元に先生が深く推理した上での新たな史実、みたいなもので構成されてるんですよね。
ちょっと推理小説っぽい香りのする実在した歴史上人物を扱った小説っていうのかな。
(回りくどい言い方でゴメンナサイ)
この「利休の闇」では、利休と同じように当時、信長や秀吉に仕えていた宗及、宗久が記した茶会の記録(日付、出席者、使われた茶道具などが記載されたもの)が主軸となり、その当時の人間関係などを推察しながら話が進んでいきます。
(利休はそういった記録が苦手だったらしく利休自身のはあまり出てこない)
私がこの本を読んでいて印象的だったのは、本能寺の変と利休が秀吉に切腹を命じられる経緯。
まず本能寺の変。
織田信長が本能寺の変の際に持っていたはずの「つくも茄子」という茶器。
それを本能寺の変の後、焼失跡を利休の弟子・宗二がいくら捜索しても欠片も見つからない。
それどころか、織田信長と一緒にいた筈の小姓らの死体も全く見つからない。
織田信長が持っていたはずの「つくも茄子」をなぜか秀吉が持っており、利休は毛利輝元から秀吉が織田信長を殺害しようとしていた(殺害した?)話を聞く。
…ってなにこれ。
もやもやなんですけどー!!!
加藤廣先生の小説って、全てが事細かに調べ上げられ「あぁ、こういう経緯だったのか~」って納得させてくれるものなのに、全然納得できな~い!!!
…これって、著書「信長の棺」「秀吉の枷」を読めってこと?!
読むけどね、読むけど今知りたいのに~。
強烈なもやもや感だけが残ります(泣)
そして。利休が秀吉に切腹を命じられる経緯。
よく聞かれるのは秀吉と茶道についての考え方が違ったとか朝顔事件(利休の家に朝顔を見に来た秀吉をもてなそうとして、利休が朝顔の花も蕾も全部刈り取ってしまった。茶室に一輪だけ活けられていたのを見た秀吉が激怒したという事件)とか。
秀吉って平民出でしょ?
そんな田舎もんが茶道の考え方で利休とぶつかるなんて(笑)
最初はそう思ってました。
でも。二人の確執はそんなに分かりやすいものじゃなかった。
秀吉の茶には秀吉の武士としての政治家としての生き様があり、利休の茶には茶人としての意地、また秀吉の茶の師として道を示さねばならないという覚悟のようなものがありました。
それらが複雑に絡み合い、時として運命がいたずらをし、二人が思いもよらなかった利休切腹に至って…。
最後まで読んでも、やはり利休は死ぬ必要があったのかと首をひねってしまうけれども、一方では本能寺の変あたりから利休切腹への道筋は出来上がっていたのかもと考えらせられてしまいます。
日本史を少し知ってるだけでは知り得ないような利休切腹に至る経緯がひたひたと忍び寄る影のようにじっとりと描かれているこの本。
タイトルは「利休の闇」とあったから、利休の心の闇を描いたものかと思い手に取った本なのだけれど、このタイトルは「利休に忍び寄る闇」という意味でもあったのかも。
ちょっと後味の悪い、ねっとりした感じが残る一冊です。