私を中心にして娘と大切なものがぐるぐる回ってます。

私の大事な娘、本など好きなものや気になるものについて書き綴ってます。

子供が「ばか」と言ったら…親が伝えるべき言葉の大切さにについて考える。

こんにちは。

 

今朝はスタバでお茶しました。

f:id:jomocop:20190820094949j:image

セレクトしたのはホワイトホットチョコ(カスタム)

めちゃ甘なんですが、癒されるのでよく飲みます。

 

実はここ数日、夏バテで中々外出が億劫で。

食欲もないし、寝ても眠いし…っていう毎日を過ごしてました。

でもその夏バテも少し回復したかな?

身体が楽になったのでお茶しに来た訳です。

 

いやー夏休みのせいか人が多いです。

平日のこの時間ならいつもはもっと静かな場所なのに。

でも楽しい♪

双子コーデの可愛い兄弟や窓越しにじっと見てくる散歩中のボーダーコリーがいたりして。

 

…って和やかな出だしなんですけど。

今日は昨日の夜に起こった衝撃的な事件のお話を。

昨日の夜、私は娘といつものように同じベッドで眠っていました。

産んでからは思いっきり浅い眠りに切り替わった私。

少し手が当たったり娘の小さな寝言にさえ瞬時に起きてしまいます。

ママのあるある行動ですよね(笑)

昨夜も急に娘の寝言で起こされました。

f:id:jomocop:20190820224417j:plain

どうやらパパに怒っている様子。

ぼーっとした頭でなんとなく聞いていたんですが。

娘が最後に言った一言。

「ばか」

 

その一言で私は一気に目が覚めてしまいました。

ばか?

この子、今、ばかって言った???

 

本当にもう驚きました。

彼女の口からその言葉を今までほとんど聞いたことがなかったからです。

 

全く聞いたことがなかった訳でなく「ほとんど」というのは。

3か月くらい前のこと。

幼稚園で参観日がありました。

そこで、娘と仲良くしている男の子がやってきて笑いながら突然言ったんですよね。

「ばーか」って。

私が驚いていると、娘もすかさず「ばーか」って言いました。

 

(ああぁ。もう。この言葉を連呼してここに書くことさえ気が滅入ります。)

その時は、つられて言ったのだなと思い、その場で娘には注意。

娘もわかったとうなずき、それ以外、後にも先にも彼女からその言葉を聞くことはありませんでした。

 

でも。

まさかそれを寝言で聞くだなんて。

 

翌朝。

私は娘に聞いてみました。

「幼稚園で『ばか』って言うことある?

怒らないから教えて」

何度聞いても「言わない」と言い張る娘。

でもなんとなく顔の雲行きが怪しい感じです。

私は聞きだすことを止め、こう話しました。

 

「じゃあ〇〇ちゃん(娘の名前)が言ってないのは分かったよ。

でもね、もし、お友達が言ってきても同じように言い返しちゃだめ。

それは人に嫌な思いをさせる言葉なの。

大変な言葉なのよ。

ママが〇〇ちゃんのこと嫌いって言ってるのと同じくらい、時として人を嫌な思いにさせる言葉なの。

小さいお友達は、その意味を分かってないまま使ってるお友達が多いと思う。

だから〇〇ちゃんに対して言ってくることもあるかもしれないけれど、〇〇ちゃんはもう意味が分かったよね?

その言葉は使わないでね」

 

そう話した途端。

娘は火がついたように泣き出しました。

何も言わないけれどただひたすら泣いていました。

 

泣きじゃくる娘をあやしながらこんな話もしました。

「言葉はね凄い力を持ってるの。

投げると同じものが返ってくるのよ?

『可愛い』という言葉を言うと『可愛い』が

『ばか』という言葉を言うと『ばか』が

自分に返ってくるものなの。

だから大事に使おうね。

〇〇ちゃんが過去に『ばか』っていう言葉を使ったかどうかは重要じゃない。

これから気をつけていくことが大事なのよ」

そんな話をしました。

 

娘は静かに話を聞いてくれました。

私の言葉のどれかが彼女の心にちょっとでも響いてくれたらなと願っています。

 

そして娘を幼稚園へ送り出した後。

私は違う視点からその言葉について少し考えていました。

皆さんは

「ばか」と「馬鹿げてる」「馬鹿馬鹿しい」「親バカ」「馬鹿正直」の違いをお子さんに説明できますか?

前者は言ってはいけない言葉だけれど、後者は状況に応じて使って構わない言葉だということをどうやったら4歳児に上手く伝えられるでしょうか。

…今日一日考えたけれど、上手に説明できる言葉が私には見つけられませんでした。

単体で使うのはアウトだけど、形容詞や他の名詞にくっつけてならアリだなんて説明しても子供は納得いきませんもんね。

 

これは今日一日で終わる話なのではなく、時間をかけて事あるごとに説明をしていかなければならない大切な課題なのだと重く感じた瞬間でした。