こんにちは。
ここ数日、娘とミュージカル「アニー」の名曲「tomorrow」をひたすら歌ってます。
英語の勉強の一環なので英語の方がメインでたまに日本語のほうも。
一応勉強ではあるけれど娘は歌好き。
遊びみたいな感覚なので「歌いたい歌いたい」と何度もリピートして色々な方のYoutubeを観ては研究してます。
で。
私も。
娘を登園させたあと、ひたすら練習しました(笑)
娘の興味の持ったことはできるだけ共有するようにしています。
そっちの方が楽しいし、娘がより深くのめり込んでくれるので。
当分、家でも車の中でもtomorrowが流れそうです♪
今日は。
先日書いた、「自学自習できる子に育てるソクラテス式問答法」のその後について。
そんなに日にちは経っていないのですが、実践してみて感じたことを綴りたいと思います。
ソクラテス式問答法を始めたその日。
ほぼ全くできないことにまずショックを受けました。
同時に、自分が普段から「反省を促す」ような説教を多くしていることに愕然。
一方的に間違いを指摘し、反省させ正しい方向を示すという方法は、確かに劣等感を植え付けるやり方だと感じました。
具体例を言うならば
・〇〇は間違っているよね?
・〇〇しなきゃ駄目でしょ
・〇〇したから△△になるんだよ etc…
自分の今までしてきた子育てを省みて思うこと。
娘が間違ったことをした時、本当に「反省を促す」叱り方を多くしてきていました。
けれど。
これは口では「娘のことを思って」言っていることでも、実際はそうではありません。
自分の利己心を満足させるため、とでも言いましょうか。
上手く言えないのですが、「娘より経験豊富な立場である」「娘を大切に思っている」私からの「重要な忠告」を、娘が聞かないことへの「苛立ち」を娘に「反省を促す」ことによって昇華させたい、という利己心。
そういったものが私の中に存在していたように今回感じました。
これは果たして本当に娘のための説教なのか?
答えは否です。
娘を大切に思っていることは十分伝わっているとは思うのですが、やり方としては、結果大切な娘を無駄に傷つけるものでした。
こんな深く考えてちゃ子育てなんてできないよね?!
とも言われそうです。
ですが、私は常に「娘と真摯に向き合いたい」と思って子育てをしてきました。
だから難しくてもやってみたい、やってみよう、とソクラテス式問答法を始めたその日、改めて決心したのです。
それから。
私の中で練習する日々が始まりました。
娘に頭ごなしに注意する前に。
娘に聞くこと。
・どうして〇〇したのか
・どうして〇〇したいのか
・そうしたらどんなことが起きると思うのか
・どんな結果が待っているのか
・〇〇することによって良いところと悪いところ
・どうしたらいいのか etc…
できるだけ私情を挟まない。
できるだけ中立のものの見方で言葉を選び、質問をする。
ソクラテス式問答法は「反省を促す」ためにあるものではなく、子供に「原因と対策を自らの力で考えさせる」ためにある方法です。
それを極力意識する。
娘に「反省を促す」ような物言いはしない。
そんな風に考えながらここ数日娘と接してきました。
日を追う毎に少しずつ私はソクラテス式問答法に慣れてきたようです。
これは感情的に怒らないための方法でもあります。
「また〇〇してる!」と怒りたくなる気持ちにまず一旦深呼吸し、「どうして〇〇したの?」と丁寧に娘に問いかける。
それに娘が答える。
その答えにまた質問を投げかける。
それにまた娘が答える。
これを繰り返し、娘はこんな風に感じていたんだ、と驚くこともあります。
私がいつも注意している理由をオウムのように繰り返す娘を見て、私の考えや価値観がどれだけ娘に影響を与えているのか衝撃を受けることもあります。
いつかは、娘の価値観で娘自身がよく考えて自分なりの答えを出せるように。
地道にソクラテス式問答法を繰り返していきたいと思います。
今日はここまで。