私を中心にして娘と大切なものがぐるぐる回ってます。

私の大事な娘、本など好きなものや気になるものについて書き綴ってます。

自分らしく生きてないことに気づいちゃった…。

…なんだか夜中に一人もやもやってます…。

あんまりこういう記事って書かないんですけどね。

なんの目的もない記事っていうか。

 

いや、目的がない訳ではないですよ。

本当なら、本当は言いたいことがわんさと胸に詰まっている状態です。

でも吐き出せないっていうか。

 

皆さんは他のどこにも吐き出せない思いがある時、どうしていますか?

私は今みたいに文字化して外に出すことによってスッキリさせることが多いです。

多いです…というよりは多かったというべきかな。

昔はとにかく文字化して吐き出してました。

とにかく書いて書いて…

誰にも見せない文章を、自分でも読み返すことのないその場限りの文章をひたすら書いてた。

今ではその吐いた日記のようなものがどこへ行ったかすら分からないけれど。

その、文字化して吐くという行為は当時の私にとって必要不可欠なものでした。

 

最近はそうすることも少なくなりました。

抱え込める容量が増えたのかもしれない。

人生にある程度諦めがついたのかも。

昔はほんと「夢見る夢子さん」的なタイプで現実を生きていないようなとこがあったから、人生を生きづらく、だから文字化していたのかもしれません。

今は?

今は、随分現実生きてますよ~(笑)

だって一児の母ですもの。

年齢も年齢だし、現実生きてなきゃやばいです。

 

でも。

現実を生きてない昔の私は。

生きづらかったけれど今より少し幸せだったかもしれない。

不器用だし苦しかったけれど、自分を捨てていなかったから。

今の私はずっと、本当にずっとずっと生きやすくなったけれど、自分らしくない。

本来の私じゃなくて、一人でないと自由になれない。

4歳娘の前ですら頑張ってしまう。

 

そういうもの?

私は甘いのかしら。

誰しもが人に見せる顔を自分だけが知る顔があって、それらを上手に使い分けていくものなの?

 

…どこから本来の「現実を生きてない私」じゃなくなったかを考えてみた。

大学時代から…かな。

途端に、人付き合いが上手くなった時期。

それまでも人付き合いはできてた方だと思うけれど、何かを吹っ切った時期。

私、随分長いこと現実を生きるようにしてきたんだなぁ(笑)

 

ここらでちょっと後戻りしてみようかな。

「現実を生きてない私」を戻してみる。

そんな自分を許す。

 

今、私が疲れてて、腹が立って、絶望してて、悲しみが溢れているのは、それは多分現実に起きた出来事が原因なんじゃなくって、私が私らしく長い間生きてこなかったせいかもしれない。

ずーっと大事な部分を見ないように捨て去ったようにして生きてきて、けれどそれは自分の核に居続けて、その回りに「自分らしくない自分」が選んだ人生や選択をまとい続けて。

もう、もう息苦しくなってしまったのかもしれない。

 

本来の「現実を生きてない私」=「自由な本当の私」がもうここから出たいと、自分に嘘をつき続けたくないともがいているのかも。

 

 

本当に本当に脈絡なのない文章でゴメンナサイ。

いつもは楽しかったり実用的だったりする文章を書いているのに、こんな意味不明な抽象的な文章。

それもまた私が書いた文章ってことで許して下さい。

よくよく自分について考えてみたいと思います。

 

自由になれる道を模索していきたいです。今は。