私を中心にして娘と大切なものがぐるぐる回ってます。

私の大事な娘、本など好きなものや気になるものについて書き綴ってます。

赤ちゃん育児を終えて思うこと。

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今日もいいお天気♪

ベッドシーツを洗い、気分もスッキリです。

梅雨が明け毎日がお洗濯日和なので、毎年春頃に行ってたカーテンの洗濯もこの夏するつもり。

カーテンの付け外しをするのに夏は暑いでしょう?

だから毎年春頃と決めていたんです。

でも今年はコロナで幼稚園が3カ月以上の登園自粛要請となって…。

結局、日々バタバタと過ごしてしまって、できずじまいでした。

一度に全部なにもかもやってしまいたい気持ちはぐっと抑えて

(なぜなら疲れてへとへとになっちゃうから)

毎日少しずつ攻略していきたいと思います♪

 

さて。

この年末のPC故障~コロナで登園自粛要請で、ほぼずーっとブログが止まっており、今、書きたいことはわんさとあるし、「使ってよかった!」紹介したい知育おもちゃも、効果のあった知育法も、現在進行形の娘のお勉強&生活スタイルも、お話したいことはたーっくさんあるんですけど。

 

今日は娘が5歳になって慌ただしい育児がひと段落している立場として、感じたことをお話したいと思います。

きっかけは今朝のことでした。

久しぶりに会った仲の良いママ友。

つい最近第三子が生まれたばかりです。

上の子のフォローもしつつ赤ちゃんの育児。

実親のサポートも受けているけれどママは頑張って家事育児をこなしています。

幸せそうだけど、子育てに忙しそうでした。

 

彼女と話をして一人になってふと私は思いました。

「どうしてママは孤独なんだろう」と。

特に彼女を指して思った訳ではありません。

私も通ってきた道を、彼女を見て鮮明に思い出したんです。

 

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私は娘一人だけだし、今、その娘は5歳になり様々なことができるようになり、彼女について昔のように多くのことを心配したり不安になったりすることは明らかに少なくなりました。

平日は幼稚園へ行き、私は一人の時間が持てます。

私のペースで私らしくいられる大事な時間。

 

だから、一日の大半を慌ただしさとひたすらペースを乱されるという混乱と心身の疲労に追われる日々からはほぼ解放されました。

もちろん、そこには沢山の大きな幸せもあります。

子供の笑顔、子供の成長。

でも、必ず母親の「孤独」というものも含まれてる。

 

娘が大きくなり、私は「孤独」からほとんど脱することができたように思えます。

けれど。

どうして出産し、子供が乳幼児と呼ばれるような時期は母親は「孤独」を体験しなければならないのでしょう?

何があれば過去の孤独だった私を救えたんだろう。

 

お金?

信頼して子供を預けられる人々?

愚痴ることのできる場所?

その全て?

 

考えてみたけれど答えは出ませんでした。

お金があれば育児は楽になるけれど、寝るのを泣いて嫌がる子供をなだめながら寝かしつけをする辛さは変わらない。

離乳食を食べ散らかしたテーブルや床をロボットが拭いてくれる訳でもない。

信頼して子供を預けられる人々が居ても、子供が「ママじゃなきゃいや!」って大泣きしたらママは子供を置いて遊びになんて出かけられない。

出かけられたとしてもそこにはずっと罪悪感がつきまとって、心からお出かけを楽しめない。

愚痴ることのできる場所・相手が居ても、その場所や相手から離れたらまた一人。

喜びも悲しみも苦しみもまた子供と向き合っていくしかないんですよね。

 

どれかがあってもそのすべてがあってもママは妊娠する前の自由な心の状態には戻れない。

 

そう考えると、赤ちゃん期の子育てと母親の孤独はセットのお勉強なような気もします。

赤ちゃんという絶対的に弱く愛らしい存在を通して、人として強くなるためのお勉強。

 

母は強し。

母は尊し。です。

 

彼女達の代わりになることはできないけれど、彼女達が少しでも気を紛らわせて、少しでも癒されて、少しでも楽になれる方法を、これからも私なりに考えていくことができたらと思います。