今日は久しぶりにプレイルームへ。
行ってみると、そこには数人の1歳児とそのママが。
もう娘も3歳。
いつのまにかプレイルームではすっかりお姉さんになりました。
小さい小さいと思っていたけれど、1歳児と並べば当たり前だけど大きい…。
身体は大きいけれど、1歳児におもちゃを取られても取り返すことなく
「〇〇ちゃんが(娘の名前)が使ってたのに~(泣)」
とどこかへ走っていって別のおもちゃで遊び出す娘。
気持ちの優しさは大きくなっても変わりません。
そんな娘の姿にほっこりとさせられる時間を過ごすことができました。
今日はそのプレイルームで起きた「積み木遊び」に関するお話です。
私が娘のおままごと遊びを見ていると、1歳の男の子が近くにやってきました。
テーブルにはおもちゃのコップがいくつか置かれています。
男の子はおもむろに私にその一つをくれました。
「ありがとう」と受け取る私。
男の子はもう一つ、コップを差し出してきました。
私が先に受け取ったコップを見せて「どうもありがとう」と言うと、男の子は持っていたそのコップをその上へ。
この段階ではコップは綺麗に重ねられた訳ではなく、大きさの違うコップが向きを逆にして乗せられたような状態です。
そこへ更に男の子はコップを差し出してきました。
「乗せてみる?」という私。
私の手のコップは向きが逆さまでかつ斜めになっています。
その上に、高台同士をくっつけるようにして(コップの下にある小さな台)積み重ねようとする男の子。
その男の子のママと近くで見ていたプレイルームの先生は
「乗せるのは無理だよ~?」と言っていました。
どうして無理だと言えるのでしょうか?
男の子は失敗しながらもなんとか乗せることに成功しました。
大人でも難しいことです。
いえ、大人なら最初から無理だと決めつけ、やらないかもしれません。
そこから更にコップを積み重ねようとする男の子にプレイルームの先生は、
「積み木ならあっちにありますよ」
と男の子のママを誘導し、男の子はママとその先生に誘われるようにして積み木へ行きました。
けれど私との遊びに集中力が切れたのかどうか、男の子は積み木では遊ばず、他のおもちゃの所へ行ってしまいました。
コップでの無茶な積み木を止めさせ、「正しい」積み木のおもちゃで積み木をさせるというのは極めて女性的な考え方だと私は感じたのですが、どうでしょう?
積み木ははたして積み木のおもちゃでないと楽しめないものなのでしょうか。
私が見るに、男の子は明らかに私とのコップの積み木を楽しんでいました。
そこで芽生えた小さな好奇心、集中力はかけがえのないものです。
それを大人が考える「正しい」積み木のおもちゃに誘導するのはとても勿体ないことのように思えてなりません。
子供の可能性は無限です。
子供自身がそれを理解しています。
小さい子であればなおさらです。
大人がその可能性を制限してはいけません。
子供の可能性を制限するということは、「面白い」と子供が感じたその感情から発生する好奇心、集中力、独創性、引いては目の前の問題解決に対し、自分の中のありとあらゆる情報をかきあつめアウトプットする力も制限してしまうことです。
勿体ないとは思いませんか…?
私も子育てをしている過程で
「あぁ、今、子供の考える機会を奪ってしまったな」と反省させられる場面は多くあります。
そんな時は大抵、大人の発想を持ち女性的な考え方で子供に向き合った時です。
女性的な考え方を否定する訳ではありません。
ただ時として、子供との遊びの中では男性的な、子供の目線まで降りた対応が求められる場面が必要な場合もあるのです。
パパって子供と同じように騒いだりおかしな遊びを思いついたりすることが得意ですよね。
ママからすると「また、変な遊びを教えて…」とため息をついてしまうこともありますが、それが子供を夢中にさせてくれる=集中する機会を増やしてくれることは確かな事実です。
ママとパパは違います。
ママとの遊びもとても大事。
でも時にはパパのような発想を持って子供と一緒に遊んでみませんか。
ウチには積み木らしきものは置いてありません。
以前友人から貰ったもので5個くらいの積み木のような四角いものがあるくらいかな。
でも、娘が1歳くらいの頃、やはりよく積み木遊びをしました。
ウチでしていた積み木は何を使っても良いのです。
皿、コップ、おままごとのパンやイチゴ、ボール…
大人でもかなり難しいです。
不安定になってる足場に、ボールなんてどうやって積み重ねるの?!って感じです。
でも娘は面白がって持ってきます。
そしてそれを真剣に積もうとしてきます。
できない時は私や主人が手伝っていました。
上手に積めた時の達成感、娘の喜ぶ顔は格別です。
たかが積み木遊び、されど積み木遊び。
子供の能力や可能性を伸ばしたいと考える時、ただなんとなく塾に通ったり知育教材を使わせたりするだけでは、他の子より突出することなんてできません。
塾や知育教材は所詮画一的なもの。
近くでいつも子供を見ているパパママこそが子供の才能を伸ばしてあげられるキーマンだと思うのです。